クリスマスの思い出2020年12月05日

今年も早いものでもう12月、師走になりました。

年末の一大イベントである「クリスマス」は60代の私の子供時代でも既に普通に存在していました。

保育園や幼稚園で「クリスマスツリー飾り」や、保護者も交えた「クリスマス会」があった事で一般家庭にも浸透していったのだと思います。

しかし、我が家の「クリスマス」というのは、クリスマスツリーもホームパーティーも無縁の、
【年に一度 ケーキを食べられる日】と、
【運が良ければプレゼントを貰える日】でした。

クリスマスケーキは父が勤めている会社で取りまとめて注文してました。
夕方になると、父の帰りを首を長くして待っているのですが、ケーキよりお酒の父はマイペースで、絶対に一軒飲み屋に寄ってからでないと帰ってこないのが毎年でした。

ようやく帰ってきた父がケーキの箱を持っているのを見た時はホッとしたものです。
何しろ田舎には和菓子屋はあってもケーキ屋なんて一軒もなく、日頃ケーキは滅多に食べられないお菓子だったのですから。

小学校低学年の頃までは一緒に住んでいた叔母達から、紙製のキラキラした靴の中にお菓子の入ったクリスマスブーツや人形のプレゼントを貰いました。
父の兄妹にとって、姉と私は家に初めて生まれた子供だったので、可愛がられたのだと思います。

近所の仲良しの子は誰も貰ってなかった時代、クリスマスブーツはとても嬉しかった思い出です。

中のお菓子を食べ終わっても、紙の靴だけはボロボロになるまで大事に置いて眺めていました。

祖母の手仕事2020年12月06日

その昔は何でも自分で作るのが当たり前で、明治生まれの祖母は、色んなものを手作りしていました。

①春は山へゼンマイなどの山菜を採りにいき、翌日に干しゼンマイを。
②梅の季節になると、黄色に色付いた大梅で梅干しを。
③夏には畑でたくさん採れる茄子で漬物や干しナスを。
④秋は渋柿で干し柿を。
⑤冬は畑のかぶらで「かぶらずし」を。
⑥その他にも、キュウリや瓜の粕漬け、などなど、、、

他には、夏の風が通る日、家の前の木と木に紐を張り、箪笥の中の着物をほとんど出して虫干しをしたり、
残ってもう食べられないご飯で糊をつくり、掛布や敷布に糊付けをしたり、
秋の涼しい日には、布団の綿の入れ替えや、新しい布団作りをしていました。

これらの事を農作業の合間に、当たり前の事としてやっていました。

雨が降り、農作業も何もできない日は、祖母の大事な「お針箱」が登場します。
そして、破れたものの繕いや、たまに自己流で直線断ちの自分の服を作ったりしていました。

何もしてない姿を見たことがありません。
いつも何かしらしていて、手を動かさないと寂しいと言っていました。

今、雑誌などで若い人の自然思考の暮らし方が紹介されたりして、(なんかいいなぁ)と思ったりするのですが、それはすっかり忘れてるけど、昔、祖母がやっていた暮らし方そのものなのです。