保育園の記憶、その②2020年10月05日

今だったら小さい頃から保育園や幼稚園に通うのが普通ですが、私は1年保育でした。

昔は小学校の単位で保育園があり、同じ歳の子は保育園から小学校まで同じでしたが、何人かは別の学区から通ってる子もいました。そんな子は列車の定期券を持っていて、列車に乗って帰るのを先生と一緒に見送っていました。

※大人達が保育園の事を【ようちえん】と言うので、保育園イコール幼稚園と思っていた私でしたが、一歳年上の夫は同じ町でも商店街のある町生まれで【キリスト教の幼稚園】に通っていたそうです。農村生まれの私は、【保育園】とは違う【幼稚園】が自分の町にもあった事を、夫と結婚して初めて知りました。※

保育園入園は6歳位なので、割といろんな事を覚えています。

お昼寝の時、眠くなくて隣の子とお喋りして怒られ、持参した毛布の毛をむしって遊んでた事、
テレビの時間には「ブーフーウー」を見せてもらった事、
紙芝居が大好きで、みんな声を揃えて「紙芝居!!紙芝居!!」と先生にお願いしてた事、
栄養補給に毎日一粒づつ肝油が配られていた事、などなど、、、

お昼は、ご飯だけ家から持参し、おかずは給食室で作ったものが出されました。ちょうどお腹が空いてくる時間に給食室の前を通ると、いい匂いがしてきて、その記憶は今も頭の隅に残っています。

北陸の冬は寒いので、冬は持参したお弁当箱を(赤い楕円のアルマイトで真ん中に花の絵が描いてある)木の保温箱に入れて温めていました。
おかずはみんなに配られた後、残りはまだ食べたい子が、先生に「おかわりください」と言ってもらうのですが、私はその一言が恥ずかしくて言い出せない子供でした。一度だけ、先生が隣に座った時、黙って食器を差し出しておかわりをもらった記憶があります。
その事は今思い出しても恥ずかしい!家では我儘言ってる自分が外では全然話せなかった記憶です。

荷馬車の馬2020年10月05日

今はどこに行っても道路は綺麗に舗装されいますが、昔は幅も狭く地道の所が殆どでした。

そんな中でも、家の横の道は大道路だったので、時々、東の方から西の方へ材木を運ぶ馬車屋さんの荷馬車が通っていました。

荷馬車が通った後には、馬ちゃんの落とし物があっちにもこっちにも落ちていました。
今だったら大問題になるところですが、昔はそんなの当たり前で、道を通る時は落とし物を避けて通り、たまに踏んづけても、靴のまま(ゴムの短靴)川に入ってジャブジャブして、全然気にしてませんでした。

その荷馬車の馬が、時々我が家の前にやってくることがありました。
馬車屋さんが、祖父と知り合いで、何かの用事でやってきてたようです。
そんな時は母とかが、「○○〜、馬が来てるよ〜」と言ってくれるので、子供の姉と私は人参を持って馬のところへ飛んで行ったものです。
間近で見る馬は大きくて、でも大人しくてワクワクしたのを覚えています。

ただ、持っていった人参は一度も食べてくれませんでした。
大人になって、乗馬経験のある人に聞いたら、「馬はそのままでは食べないよ、切って小さくしてやらないと」と言われました。
あの馬はきっと馬車屋さんから、切った餌をもらっていたのでしょうね。

その内、道路が整備され車が通り始めると、馬車屋さんの馬も見かける事はなくなりました。