共同田植え2020年10月08日

私の家は小規模な兼業米農家で、自宅で食べる分と、多少の供出ができる程度でしたので、主に祖父母が農業をし、父母は会社に働きに出て、農繁期だけ会社を休むと言う風でした。
周りの家も殆どそんな感じだったので、田植えの時期になると【共同田植え】と言って、何軒かでグループを作り、一軒分づつ順番に田植え作業をしていました。農機具も共同で購入したり、あの当時は近所で支え合う事が多かったです。

共同田植えの日は朝早くから近所の人が大勢集まり、日頃の情報交換にあちこちで世間話が始まり、さながらイベント状態、子供達もいつもと違う雰囲気で興奮していました。
10時が午前の休憩で、みんなが一斉に田んぼから上がって来ると、お茶とお菓子が配られます。
お茶はアルミの大きなヤカンで作ったものを湯呑み茶碗で配られ、お菓子はお店に頼んで袋詰めしてもらった「田植え用お菓子」でした。
(母はそこで配られたお菓子はほとんど食べないで、姉と私のために残すのが常でした。今ほどお菓子が十分になかった時代、自分は我慢しても子供に食べさせたかった親心で、歳をとった今その事を考えると胸が熱くなってしまいます。)

大勢で一斉にやる田植えは、一枚一枚の田んぼがあっという間に終わっていき、それぞれの家がやると何日もかかるところが、夕方までには全部済んでしまいます。
作業が済むと「ご苦労様でございました」とそれぞれ挨拶を交わした後、近所の人達は家に帰って行きます。
みんなが帰ってしまった後はシーンとして、まるで祭りの後のような感じでした。

水が張られてため池のようだった前日までの田んぼは、あたり一面若緑色に様変わりし、その様子は本当に綺麗で、不思議なエネルギーも感じて、私は薄暗くなりかけた田んぼを眺めているのが好きでした。

※60代以上で農家の生まれだと、大概子供の頃に田植えや稲刈りの経験があると思うのですが、我が家の周りで行われていた「共同田植え」は効率よく仕事ができる大人だけでしていました。当時子供だった私達はヤカンのお茶を運ぶ事ぐらいでした。
なので、私は農家の生まれですが、農作業の手伝いはほんの少ししかした事がないし、農業の事は殆どわかりません。
夫にその事を言うと、(家の手伝いをしなかった親不孝者!)と言います。
そう言ってる夫だって「三丁目の夕日」の一平みたいに、遊びに夢中で、家の手伝いなんかしない子供だったと思います。

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